コラム

第4回「新型コロナウィルスにより人類が学ぶこと その1」
2020.03.23 齋藤敬一

一つのウィルスが、沢山のことを教えてくれている。

グローバル化のリスク側面。つまり、人と人の行き来が自由になることで、知らないうちに大きなリスクに晒されていると言う事実。

中国の武漢から始まった感染が、一帯一路戦略による中国との関係性強化もあり、イタリアで爆発した。

多くの中国人、イタリア人が両国を活発に行き来していた。イランも同様である。たまたま起こった悲劇だと思うが、何が悲劇を起こすか分からないのが、グローバル化なのかもしれない。

EUは、一体になって国境をスムーズに行き来することが可能になっていたために、瞬く間にヨーロッパに広がっていった。

こうなると、ヨーロッパだけでなく、フランスとトンネルで繋がっている島国のイギリスにも広がるし、アフリカ大陸にも蔓延していく。

人が媒介になってしまうので、人の行き来が原因になる。通常時は人の行き来が経済を活性化し、人の多く集まるところが栄えるのだが、今回はそれが仇となることを世界中が認識した。

「医療崩壊リスクの高い国=医療体制の脆弱な国」が大変な事態に早く追い込まれる。いつの場合も、自然の法則は、弱いものが先に駆逐される。

イタリアの医療体制のことが取りざたされているが、これもEU加盟の負の側面である。そして、財政のバランスをとることの基準が、平常時を想定していてはダメであることが今回はっきりした。

医療は常に余裕を持たないといけない。また、地域的な医療連携と場合によっては、周辺国の医療体制も機動的に動員できるシステムなど、柔軟に余裕を持てるシステムが必要だと認識させられた。

新自由主義によって、国家よりもグローバル企業の方が影響力を持つようになったが、災害やパンデミックなどを押さえ込むには、国や地域の政治の力、行政の力が凄く重要性を増すことを思い出させてくれた。

今回、イタリアは、封じ込めに成功した中国の作戦を直ぐに実行したが、結果を見ると新型コロナウィルス封じ込め作戦は全く違う結末になった。

これは、社会構造の問題でもある。どちらの社会が良いとは言えない。「国民性や社会構造が違えば、作戦は違う!」と言うことを示してくれた。中国とイタリアでは、政府の統制力や人々の意識も全く違うので、中国で出来たことがイタリアでは出来なかった。

そして、人々が自分のエゴよりも全体最適を考える社会であれば、初期段階から冷静な対処をするので、パニックは起こりにくい。

そんな社会を作るのは、文化教育である。従って、教育の中身とその重要性、優先順位が課題になる。スキル教育だけでは社会は作れないのである。

観光産業は、人の往来がないと成り立たない。これまで観光産業は、歴史的建造物、未来的都市空間、そしてその都市や建物にまつわる物語などが誘客のコンテンツになっていたが、未知のウィルスには全く敵わなかった。

未知なだけに、そこに来る観光客は、未知の危険には遭遇したくないと言う恐怖心が、観光したいと言う欲求をねじ伏せる。イタリア、パリ・・・・日本でも京都、大阪、北海道・・・が、中国人が来る場所には行きたくない。そして、韓国人が行くところにも行きたくない・・・と言う現象が起き、人がほとんどいなくなった。ホテルの稼働率は、9割ダウンになるなどの激震が起こっている。

また、世界的に人気が高まり、日本でもこれからの観光産業として多くの期待と港湾の整備などで、地方経済の救世主になることを期待されていた「クルーズ船」は、中国資本が積極的に投資をしていた。「ダイヤモンドプリンセス号」は、クルーズ船の象徴とも言うべき船だったが、未知のウィルスによって、最悪の乗り物になってしまった。アメリカ、オーストラリアでも受け入れ拒否など大きな問題になってしまった。暫くはクルーズ船ビジネスは、厳しいであろう。

この様に、想定外のリスクが明るみに出ることで、産業自体が吹っ飛ぶ。対策はもちろん進み、クルーズ船も安全な乗り物になるとは思うが、多くの人に与えたネガティブイメージ、恐怖イメージは救い難い。

新型コロナウィルスが、未知なものだっただけに人々の恐怖心に強力に作用した。病気にかかるリスクには、誰もが抗えないと言うことが分かった。

そして、人々のこの恐怖心が、異常に増幅すると人間は身勝手な行動を起こしてしまう。日本においても残念ながらデマでトイレットペーパーまで無くなった。そして、他国では病院がキャパオーバーし、他のもっと緊急性の高い患者の治療もできなくなるなど、簡単に想定を超えてしまう。人間の恐怖心からくるエゴの心が最も恐ろしい武器になることもよく分かった。

一方、経済活動がストップすると、地球は、とても綺麗な状態を取り戻してくれることも分かった。世界でも有数のスモッグで知られる武漢が、空から見るとスモッグが吹き飛んでとても美しい姿を現した。また、ベネチアでも澄んだ川と魚が姿を見せた。いかに、人間が汚していたのかがとてもよく分かる。

自分たちの経済活動は、世界とつながっていることが、様々な産業で理解させられる事態になっている。人の移動制限がダイレクトに影響する観光産業だけでなく、住宅産業においても中国からの部材が入らない。マスクなど消費財が世界的に不足し、医療現場を麻痺させる・・・。

別の見方をすると、我々は目の前の人への感謝は意識するが、世界が繋がっていることへの感謝にまで意識がいっていなかった人が多いのではないだろうか。

我々は、一つの星の中で、同じ空気を吸い、同じ風を感じ、同じ月をみている。そして地球資源である水を飲み、海や川、山の恩恵で生かされている。そう、世界はいつも一つであり、自然は繋がっている。国境はあるようで、既にないも同然だし、そもそも人が決めたものに過ぎないのだ。

このような機会でないと意識できないが、本来は、我々は一つであり、全て繋がっていて、自分たちの言葉や行動が良くも悪くも、自分たちにフィードバックされているのである。

新型コロナウィルスは、人類に、地球は一つであることをきっと教えてくれている。そして、そのウィルスさえも実は、必要な存在なのだ。

何故なら、細胞が生まれる前からコロナウィルスは地球上に存在している。当然、最後に出現した人類は、全てがいる環境に適応しながら現在の発展を甘受しているのである。

そもそも、これだけ長い間地球に生息しているウィルス。我々は、彼らを征服する戦いをしてきたが、むしろ共生しているメリットのことをあまりにも知らないのかもしれない。


人類の科学技術がどんなに進んでもウィルスは無くならないだろう。我々は、彼らとの共生をもっと研究した方が良いのかもしれない。


現在、人の力の今の実力を僕らは見せつけられている。
医療現場では、特効薬がまだないので自然治癒力を引き出すための対症療法(人工心肺など)を活用するだけで、ウィルスを直接攻撃するのは、免疫機能である。その免疫機能が暴走するととてもやっかいなことになる。でも、暴走する人は、免疫バランスを失っている人たちである。そう。ウィルスは、人類の免疫機能が落ちていることに警笛を鳴らしてくれている存在とも言えるのだ。

免疫機能を下げている原因の多くは、日頃の生活習慣や我々が口にしている食べ物や空気、そして水にある。

この強烈な機会を我々は真摯に受け止める必要がある。最優先すべきは何なのか?

もちろん経済は大事だが、その歪んだ構造に問題はないのか? 日々の生活で便利なことは大事だが、健康や環境を害してまで便利さを追求することに何の意味があるのか?

我々は、今回の試練を真摯に捉え、未来を見て考える必要がある。

是非、多くの人や企業がSDGsを真剣に考え、実行するきっかけにしていきたい。